今から書く話は、人に聞いたことと考えても、実際に私が感じた事と考えても、実際にあったこととも考えてもどうでもいいような不思議な書き方をします。
先週手書きの葉書が1通届きました。
このところ固定電話にかかってくる電話はほとんどが宣伝で、
ポストに投函されるハガキのほとんどはやはり広告です。
宛名も文面も手書き。しかもボールペン黒一色の葉書というのはとても珍しいです。
年賀状もほとんどが手書きであっても、色が付いていたりシールが貼られていたり。
色がないものはほとんどありません。
そんな中、全く色のない葉書が届きました。
「はじめまして」から始まった内容は
娘の〇〇が先月何日に亡くなりました。
年賀状をいただいていたのでお知らせいたします。
お母さんからでした。
え?と思いました。
まだ2月です。それに年賀状をもらっていたはずなのです。
すぐに年賀状の束を見たらやっぱりもらっていました。
今年は身体を大切にする年にしたいです。
みんな人生の節目の歳を歳迎えたのでこれからは自分の好きなことをすることにするとか、
そんな宣言的な文を書いてくる友達は例年よりも多かったのでさして気にしませんでした。
どうしたものかなぁと思いました。
お母さんに何がしてあげられるだろうと思いました。
とりあえずここ11年位の年賀状は出してきて並べて全て読みました。
仕事先が変わったこと。
今は忙しくしていること。
昔やっていたスポーツや習い事は今はしていないこと。
少し太ったこと。
新しい仕事を始めたこと。
仕事で大きな仕事を任されたこと。
新しい職場は今年は絶対にやめてやる宣言が書いてある年もありました。
いたって普通のやりとりでした。
彼女はいつも手書きの宛名で手書きの絵やデザインがされた年賀状でした。
写真や印刷が増える中彼女はずっとそれを貫きました。
ある仕事に就いた時は、その関連のデザインが施されていました。
最後に会ったのはいつだろう?
彼女が習い事なのか大学の部活の発表会だったか、それを見に行った写真があって。
でもそれは写真の記憶です。
その時一緒に行った友達に連絡をしましたが、その友達はその後の人生が忙しすぎるのと、
今を生きるタイプなのと、彼女の持ち合わせた素質で、
私ほど過去の記憶がありません。
何かエピソードの一つでもあれば、と思いましたが、 ほとんど新しい情報は得られないまま
近況の交換をして電話を切りました。
きっとお母さんに葉書を書かせたのは彼女自身で、
彼女はもう姿と形がないので何かの念力を使ってお母さんに葉書をかかせ、私に連絡をしてきたのです。
もしお母さんが知らせてくれなければ、他のよくある年賀状のように返事が来ないから、
そのままなんとなく縁が切れていく他の友達同様に終わってしまう関係でした。
高校時代からかれこれ34年間も年賀状だけのやりとりが続いていたと言うことも奇跡的ですが、
その終わりにお母さんを使って報告してきたことも彼女らしいです。
彼女とは「そういえば」部活も一緒でした。
それは思い出してから「思い出したこと」でずっと忘れていました。
彼女とは2年と3年2年間クラスが一緒でした。
彼女とした会話の中で1番印象的なのは、彼女はとにかく怒らない人でした。
怒らないというか感情の波が荒立たない人でした。
そうしているのではなくて、凪のような心を持った人でした。
私はといえばいつも何か小さいことに簡単に心の水面がバシャバシャと波打って腹を立てるんですが、
その時一緒にいる彼女はなんともないように過ごしています。
全くその状況に腹を立てることはなく、 悠々と過ごしているんです。
そんなとき彼女にどうして怒らないのと聞いていました。
そして彼女のようになれるものだろうか?とかどういう心持ちがするのだろう?と
不思議に思っていました。
もし彼女に会えるとしたら私はどんな高校生だったのか聞いてみたいところですが、
ちょっと恥ずかしいというかちょっと怖い気もします。
きっと突拍子もないおこりっぽいクラスメイトに思っていたに違いありません。
あまりウキウキした高校生活は送っていなかったので、
これといったイベント的、もしくはどこか出かけたエピソードがないのが残念ですが、
それでも34年間ずっとつながっていたって言うことに、
そしてもし今日明日彼女にあったとしても、教室や校庭で話をしていたその続きとして
話ができると断言できます。
共通の何か趣味とか事務的な用事や諸々話題があるから「会話できる」「会話しなくてはいけない」
人ではなくて、話がつながる、そういうタイプの友達だったと思います。
だからこそわざわざどこどこに行こうよとか何々をしようとか、
そうしたやりとりはしたかったんだと思います。
一度彼女の働く店に寄ったことがあります。
会社の帰りだったかまだ学生だったのか今は思い出せないんですが、
渋谷駅から渋谷公会堂に進んだところの左側にあるお店で彼女が働いていました。
これは行こうと思った記憶なのか言った記憶なのか今ではわからないですが、
とにかくそこで働いてる姿を私は記憶をしています。
その時の連絡手段はメールだったのか手紙だったのか、とにかく突然行ったような気がします。
そこで何をしゃべったかとか、そういったことが残念ながら覚えていません。
どんなおばさんになっていたんだろう。
記憶のまま大事にしたいと思います。
お母さんにはできるだけ彼女との思い出を詰め込んだ手紙を書こうと思いましたが、
今は短い文章の葉書を書こうと思います。
ホロリと落ちた花
鏡の水面が揺れる
記憶のかけら
集めても集めても
ずっと水色